ディスプレイ買いました
クレカの使用可能額が回復したのでサブディスプレイを購入しました。
HP 9YF44AA#ABJ HP 21.5インチワイドIPSモニター P224
選んだ基準は 、
安い(予算1万円程度)
モニターアーム(VESA100x100)対応
HDMI、D-sub、Displayport対応
だるいので各種ケーブル付属
Amazonで評価高い
IPS液晶(光沢液晶はオタク顔が反射するのでつらい)。
ケーブル付属なので到着即使えて文句なしです。視野角も文句なし。
デスクトップPCをDisplayportで、ノートPCをHDMIで繋いで使っています。
オタクほのぼの日記(修士課程編)
真っ当な人間は読まないでください。
現在僕は学部時代と変わらずアイドルにどハマりしている。中でも今はハロープロジェクトにお熱だ。正直今まで触れてきたオタク=コンテンツで一番好きかもしれない(オタクの一番好きは全く信用できない)。そして重度の懐古厨なので今日も今日とて過去を振り返っていたのだが、学部時代と修士時代でアイドルの楽しみ方が変わっていたことに気づいたのでそれを書き留めておこうと思い今回のブログを執筆した。もう少し具体的に言うと、3年前の学部学生時代の(相対的にまだ)純粋だった心が大学院修士課程により気づかぬうちに屈曲していた。何はともあれ、屈曲したことにより新たな価値観を手に入れ、自身の”楽しい”の範囲が拡張されたようだ。
学部時代までは基本的に楽曲やライブパフォーマンスに楽しみを見出していたが、修士課程でそこに背徳感が追加された。その背徳感がどのようにアイドルのライブのスパイスとして作用するかについて、自身がそれを気づいた経緯とともに述べておく。修士課程というか研究室に入ってからは常日頃なにかしらのタスクに追われていると思う。そしてそのタスクたちは原則途切れることなく無限に生成し続ける。そんな研究生活を送るうちに徐々に屈曲していた僕は、いつの間にか「来週が締切でまだ全然準備できていないのにアイドルを見ている」というような状況にある種の快楽を見出していた。自分の至らなさに目を向けるほど相対的にアイドル達が輝いて見えるのかもしれない。いずれにせよ自己を卑下することで生まれる背徳感という観点を得たことで普段のライブにまた新たな快楽が生まれた。その観点から振り返ると、ステージ上で歌い踊る年頃の女の子(中には中学生もいる)を見て、それをマネして自分も踊ってみたり、注目している女の子の名前を叫ぶといった行為をいい年した大人がしているのはどう考えても異常である。だがその異常性に気づいたことから生まれた背徳感がますますライブを楽しくさせた。
そしてこの背徳感とハロープロジェクトの2つが混じり合い、オタクとしての新しい楽しみ方を見出せた。それは写真集だ。ハロープロジェクトでは、女子高生以上になると中には写真集を出す者が出てくる。そしてその写真集の中には水着ショットも存在する。女子高生とはいわば少女と女性の間に位置する。そんな貴重な時期の彼女らの肉付きを堪能できるだけで涎が止まらない。だがハロープロジェクトの写真集にはそれ以上の価値がある。それは成長のストーリーも堪能できることだ。ハロープロジェクトは地下アイドルと違って数年で大半が消えるようなことはほとんどなく、15歳くらいでデビューして20歳〜25歳までアイドルを続けてくれる。つまり少女から大人の女性へと成長していく過程を追いかけることができる強みがある。そして、僕は年齢を重ねたことで、15歳ほどのアイドルたちに対してこの娘に対してある種の父性というのか「子どもにして育てたい」に近い感情が当然芽生えてきた。これにより15歳程度でデビューするアイドルの成長の軌跡を実質子どもや親戚の子のように心の中で見なすことが可能になった。そんなアイドル達の成長をみることは実質子育てと言っても過言ではない。この至極勝手な親目線を持ちながら
「ごめんね」
って呟きながら写真集に"向き合う"。年齢ごとの写真集を比較して体の変化に"向き合う"。そうすることで実質近親○姦のような膨大な背徳感へと導かれ最高の頂点に到達できる。
それこそが現在のコロナ禍でアイドルのライブに行けない現状での至高の幸せとなっている。
僕はアイドルを応援したい・支えたいという気持ちは一切なくただ単に自分が楽しむことだけを重視しているが、もちろん誰かを直接的に傷つけたり法は必ず破らないように注意しているのでそこの一線は弁えていることだけは最後にここで述べておく。
博士後期課程ではオタクとして自分がどのように成長できるかとても楽しみである。(アイドルなんか見ずに真面目に研究をしろ)
妄キャリのラストライブを観た感想を少し
2019/02/23,妄想キャリブレーションが活動を終了した.僕が初めてライブにまで足を運んだアイドルであり,初めて好きになったアイドルだった.そしてこのグループがこれまでの,そしてこれからの僕の人生において最も熱心に通ったアイドルとなるだろう.とにかく僕にとってそれくらい思い入れが深いアイドルグループだった.
そういったこともあり,ライブ当日はウァンウァン号泣して何日も引きずると思っていた.しかし,ライブ中は少々目が潤んだくらいであった.帰路でも滅茶苦茶楽しかったな~という感情が延々と湧き起こるだけで,妄キャリを今後一切見れらなくなる悲しみが一切生まれなかった.この時の僕は,僕の"好き"は所詮その程度だったのかと思っていたが決してそんなことはないと数日経った今なら分かる.彼女たちが最後だからああするこうするじゃなくて,最後でもいつも通りの真っ直ぐなライブを完璧にぶつけてくれたから,喪失感を上回るくらいの爆アゲな楽しいを与えてくれたからだと思う.そのおかげで,彼女らのライブをもう一生見れない事実を突き付けられても納得できた.聴きたかったけど聴けない大好きな楽曲たちがまだまだありまくる状況にも納得できた.とにかくそれくらい完璧なライブを最後に届けてくれた.これは本当に感謝でしかない.
(まぁ彼女たちのライブをもう一生見られないことを惜しむ気持ちがないと言ったら噓になるし,夏フェスの頃になったら妄キャリがタイムテーブルにいない夏なんて...と言っている自分を容易に想像できるがw)
彼女たちが選んだタイミングでアイドルとしての幕をあのような素晴らしいライブで閉じていってくれたことはオタクとしても冥利に尽きる.
最後までライブでぶつけるライブアイドルとして気高く活動を終了した彼女らに幸あれ.
ドラえもん のび太の宝島 を見て僕が思ったこと
この前の土曜日、"ドラえもん のび太の宝島"を観に行った。
序盤中盤あたりは良かったけど、最後の締め方が微妙に感じた。
今回の作品の軸からは外れているが、男の子たちは無人島で過ごし、女の子(しずか、セーラ)はお店のお手伝いをするクダリが良かった。
少なくとも僕は無人島って結構ワクワクするし男子諸君もその気持ちは分かってくれるだろう。あれだよ、男のロマンってやつだよ。
女の子についてはよく知らないけどケーキ屋さんとかになりたがらない?
先述の男の子どうし、女の子どうしの描写ではそういった"子どもの頃のロマン"が描かれてて、何となく懐かしい気持ちになった。
別にドラえもんの道具がなくても実行は出来るんだけど、現実的には出来ない。そんな手が届きそうで届かない憧れを思いだし、10歳も離れた彼らにドップリ感情移入できた。
序盤のテンポの良さから、中盤のこのまったりとしたくだりまでは文句なしだった。
終盤の良し悪しは、過程よりも、落としどころが気に入るか否かの個人的な好みが多分に反映されると思っている。
僕の好みでいうと微妙だった。
最後のシーンで、
「他人の幸せをともに喜び、他人の不幸をともに悲しむことができる人」
という聞き覚えしかないフレーズが割と唐突に出てきて面食らってしまった。
いやいやいや、何で突然結婚前夜になるんだよと思い、一気に興醒めしてしまった。
これでテンションが上がり結婚前夜を思いだし、感動する我ら世代もいるだろうが、それはこの作品の力ではなく結婚前夜の力でしかないのでは。 あんまりドラえもんを見ていない大人がこの言葉をどう思うのかは気になるところだ。
最後の最後でこの作品だからこそ伝えられるメッセージ(名言)を聞けなかったのが残念だが、総合的に見ると満足できた。
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前作は世界観重視、今作は親子愛(主に父子)だった。
次作の予告では、異説メンバーズバッチ(それにともない天動説)が推されていた。
ドラえもん映画の醍醐味のひとつである、教養的内容を絡めた、密度高いストーリーが展開されたら嬉しいなあ。
ドドドドドドドドドド
本当はとても泣き虫だよって言いたい
いつも会いたいんだよ さびしがり屋なんだよって...
夜が嫌いになっちゃうよ
夢だけじゃ足りないよ
自分でもびっくり
こんなあたしはあなたのせいで
あなたが必要だよ
あなたもあたしのせいで
あたしがきっと必要になるよ
そう...信じてる......
はい。
卒研発表の練習を重ねるにつれて、
"他人が言っていることを正確に理解し、自分が言いたいことを正確に伝える"
という能力のなさを痛感した。
前々からその気があることは気付いていたが、特段困らなかったので放置してしまったのが本当によくなかった。
この能力がないせいで発表練習をして、先生・先輩方からの貴重なアドバイスを受けても次の発表練習に適切なフィードバックができない。 そして案の定炎上する。
先生・先輩方からすれば、「こいつは俺のアドバイスを聞いていない」と感じるだろう。一方で僕はそれなりに苦労して軌道修正したのに(アドバイスの本質からずれた方向だが)、再び炎上し、自分のせいとは言え険しい心情になる。
労力を互いに無駄遣いしてしまい、当然組織の雰囲気も悪くなり大変よろしくない。
自分のためにも周りのためにも早急にこの能力を身に付けるべきだが、短期間で身に付くようなものではないし、日々しっかりと意識して生きなければならないと感じた。
アカデミックの世界でやっていくには間違いなく必要不可欠な能力なので、M2になるまでにある程度には達したいものだ。
達しなかったらこの道を断念して、大人しく歯車として生きていこうと思うくらいの心構えである。