オタクほのぼの日記(修士課程編)

真っ当な人間は読まないでください。

 

 

 現在僕は学部時代と変わらずアイドルにどハマりしている。中でも今はハロープロジェクトにお熱だ。正直今まで触れてきたオタク=コンテンツで一番好きかもしれない(オタクの一番好きは全く信用できない)。そして重度の懐古厨なので今日も今日とて過去を振り返っていたのだが、学部時代と修士時代でアイドルの楽しみ方が変わっていたことに気づいたのでそれを書き留めておこうと思い今回のブログを執筆した。もう少し具体的に言うと、3年前の学部学生時代の(相対的にまだ)純粋だった心が大学院修士課程により気づかぬうちに屈曲していた。何はともあれ、屈曲したことにより新たな価値観を手に入れ、自身の”楽しい”の範囲が拡張されたようだ。

  

 学部時代までは基本的に楽曲やライブパフォーマンスに楽しみを見出していたが、修士課程でそこに背徳感が追加された。その背徳感がどのようにアイドルのライブのスパイスとして作用するかについて、自身がそれを気づいた経緯とともに述べておく。修士課程というか研究室に入ってからは常日頃なにかしらのタスクに追われていると思う。そしてそのタスクたちは原則途切れることなく無限に生成し続ける。そんな研究生活を送るうちに徐々に屈曲していた僕は、いつの間にか「来週が締切でまだ全然準備できていないのにアイドルを見ている」というような状況にある種の快楽を見出していた。自分の至らなさに目を向けるほど相対的にアイドル達が輝いて見えるのかもしれない。いずれにせよ自己を卑下することで生まれる背徳感という観点を得たことで普段のライブにまた新たな快楽が生まれた。その観点から振り返ると、ステージ上で歌い踊る年頃の女の子(中には中学生もいる)を見て、それをマネして自分も踊ってみたり、注目している女の子の名前を叫ぶといった行為をいい年した大人がしているのはどう考えても異常である。だがその異常性に気づいたことから生まれた背徳感がますますライブを楽しくさせた。

 そしてこの背徳感とハロープロジェクトの2つが混じり合い、オタクとしての新しい楽しみ方を見出せた。それは写真集だ。ハロープロジェクトでは、女子高生以上になると中には写真集を出す者が出てくる。そしてその写真集の中には水着ショットも存在する。女子高生とはいわば少女と女性の間に位置する。そんな貴重な時期の彼女らの肉付きを堪能できるだけで涎が止まらない。だがハロープロジェクトの写真集にはそれ以上の価値がある。それは成長のストーリーも堪能できることだ。ハロープロジェクトは地下アイドルと違って数年で大半が消えるようなことはほとんどなく、15歳くらいでデビューして20歳〜25歳までアイドルを続けてくれる。つまり少女から大人の女性へと成長していく過程を追いかけることができる強みがある。そして、僕は年齢を重ねたことで、15歳ほどのアイドルたちに対してこの娘に対してある種の父性というのか「子どもにして育てたい」に近い感情が当然芽生えてきた。これにより15歳程度でデビューするアイドルの成長の軌跡を実質子どもや親戚の子のように心の中で見なすことが可能になった。そんなアイドル達の成長をみることは実質子育てと言っても過言ではない。この至極勝手な親目線を持ちながら

「ごめんね」

って呟きながら写真集に"向き合う"。年齢ごとの写真集を比較して体の変化に"向き合う"。そうすることで実質近親○姦のような膨大な背徳感へと導かれ最高の頂点に到達できる。

それこそが現在のコロナ禍でアイドルのライブに行けない現状での至高の幸せとなっている。

 

僕はアイドルを応援したい・支えたいという気持ちは一切なくただ単に自分が楽しむことだけを重視しているが、もちろん誰かを直接的に傷つけたり法は必ず破らないように注意しているのでそこの一線は弁えていることだけは最後にここで述べておく。 

 

博士後期課程ではオタクとして自分がどのように成長できるかとても楽しみである。(アイドルなんか見ずに真面目に研究をしろ)